ウクライナ戦争:焼け焦げた戦車と死体が散乱するブチャ通り

2022年4月3日 (日) 23:38

壊れた戦車
の郊外の大通りは、キーウを包囲して進入し、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領政権を退陣させるというロシアの希望にとって最初の墓場のひとつとなった。

2月24日にロシア軍が初めてに進駐してから2、3日後、ウクライナ軍がブチャの町を通ってキーウ市に向かうロシアのと装甲兵員輸送車の隊列を破壊したときである。この車列は、ロシア軍の進撃を死守した多くのウクライナ軍の待ち伏せ攻撃の最初の1つで破壊されたのである。

BBCのチームがブチャに到着できたのは、クレムリンがウクライナ東部でのに集中するという冷静で合理的な決定の一環として、金曜日に最後のロシア兵が引き揚げたからである。モスクワは、証拠も信頼性もなく、ウクライナ中央部での戦争目的は達成され、キエフを占領することはなかったと述べている。

真実は、予想外に激しく、よく組織されたウクライナ人の抵抗が首都の外で彼らを阻止したということであり、その証拠に、あの郊外の通りで破壊された場所にまだ横たわっている柱の、錆びてねじれた残骸がある。戦争が始まって2、3週間でロシアの侵略者は勢いを失いました。ブチャの通りを見れば、その理由がわかる。

ロシアの空挺部隊の精鋭部隊が、飛行機で運べるほど軽い装甲車で町に乗り込んできたのだ。この空港は、侵攻初日にヘリコプターで着陸したロシアの空挺部隊が攻撃し、占領したところである。それでもウクライナ軍の激しい抵抗はあった。キエフに向かう途中、ブチャを通過したとき、隊列は厳しい目覚めを迎えた。

道は狭く、まっすぐで、待ち伏せには絶好の場所である。目撃者によると、ウクライナ軍はトルコから購入したベイラクター攻撃用無人機で車列を攻撃したそうだ。他の近隣住民によると、ウクライナ領土防衛のボランティアもこの地域にいたそうだ。

しかし、先頭車両と後続車両は撃破され、他の車両を拘束してしまった。残骸は手つかずだ。草むらには30ミリ砲の砲弾のベルトが横たわり、危険で破損した多くの遺棄兵器がある。若い兵士たちは、ウクライナの領土防衛隊に引き渡さないよう懇願して逃げ出したと地元では言われています。フリシャおじさんと名乗る70歳前後の男性は、こう言った。「彼らはかわいそうだった。彼らは18歳から20歳と若く、これからの人生がかかっているのです」。

ブチャからの撤退を控えたロシア人には、そんな憐憫の情はなかったようだ。ウクライナ軍が町に入ったとき、少なくとも20人の死者が道に横たわっていた。中には手を後ろに縛られている者もいた。市長は、280人を集団墓地に埋めたと言った。

残った数人の市民は、ロシア軍を避けようとしたのだと言った。彼らはフルシチョフ時代のアパートの外に薪をくべ、ガス、電気、水道が止まっているため、屋外で調理をしていた。ボランティアは、ウクライナ西部のリヴィウや、少なくとも地理的には戦争から遠く離れた国々から、物資を運んできている。マリアという女性は、ビニール袋に入った質素なパンを見て、「38日ぶりのパンだわ」と言った。

娘のラリサさんが、ソ連が建てたアパートを案内してくれた。安全な地域や海外へ避難した人たちの多くは、セキュリティドアを閂(かんぬき)で閉めていた。それをロシア人が、コンクリートのまぐさやドアの柱を切り取って、取り払った。数キロ先には、ホストメル空港がある。ロシア軍の空挺部隊は、キエフに進攻するための基地として、ここを利用しようとした。

世界最大の輸送機が早くも破壊された。そのために建てられた巨大な格納庫の屋根は、榴散弾の穴が星座のように連なっているほどだった。ウクライナ語で「夢」を意味する「Mriya」と呼ばれる機体は、背骨が折れ、機体やエンジンの大きな塊がところどころに横たわっている。

その運命は、ウクライナに何が起こっているかを物語っている。ウクライナの象徴として、世界中で大きなプロジェクトを成功させるために、この飛行機には多大な国の誇りが注ぎ込まれていた。

※私見※

実際の戦争の爪痕をみることはなく、映画やドラマ、アニメや漫画の世界でしか戦争を感じたことがない私にとっては想像できない状況ですね。ほんの1ヶ月前までは普通にテレビを見て買い物をして、日常生活を行っていたのに。本当に。そして命令だったとしてもロシアの兵士にしてもやりたくはなかったんだろうと思う。逆らえば殺される、その恐怖心で行った。だとしても、本当に、無惨。少しでも早い復興を祈ります。

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